何度も借金を繰り返してしまう…そんな症状の場合、借金依存症が考えられます。
ついつい借金してしまうという程度から、借りられずにはいられない状況にまで陥ってしまうので、とても大変な依存症になります。
そこで今回はこの借金依存症についてまとめてみました。
借金依存症の人は、主に買い物やギャンブルなどがやめられない状態にあります。
その多くは何らかの強いストレスを抱えており、クレジットカードや消費者金融からの借り入れによる支払い能力を超えた金遣いしてしまいます。
この借金依存症になってしまうと、金銭感覚が麻痺し、やがて多重債務に陥り、闇金を利用したり、自己破産するものも多く依存性は非常に高いといえるでしょう。
借金依存症の怖いところは、以下のような思い込みの症状に陥ってしまうという点になります。
そのため、周りの人が注意たとしても、聞く耳を全く持たず、さらに借金を重ねてしまいます。
さらに厄介なのが、周りにお金を貸してくれる人がいる場合。
この場合、お金を借りることができるので、まだ自分には信用があると思いたい心理が作用し、安心するのです。
重症の場合は、借入の申し込みを断わられた場合、不安に襲われてしまい、自殺したり、犯罪を犯したりすることも…。
また、借金依存症の人は極限まで追い込まれないと自己破産をしたがらないようです。
さて、この借金依存症は、買い物をしないといられない「買い物依存症」や「ギャンブル依存症」と同時に起こることが多いのでこれらの様々な問題を解決する必要もあります。
上記のリンクにあるように、周囲の人がお金を貸さないことや自覚症状がない本人に気付かせる事が大切になります。
また、精神科によるカウンセリングという治療方法もあるので、重度の場合は病院に行くのがよいかもしれません。
私が「借金依存症」であることを自覚した時から、生活が変わりました。清貧生活は当然で、今まで無駄に使っていたあらゆるモノを節約したのです。
スーパーに食材を買いに行っても、今まで3000円~5000円を使っていたのが、2000円以内になったり、電気やガス、水道も節約する習慣がつきました。
母も野菜を栽培したり、昭和時代の生活のように、炭や灯油ストーブをお湯沸かしや調理に活用し、少しでも経費が抑えられる生活に切り替えたのです。
今までも、そんなに過度の出費はしませんでしたが、エアコンの付けっぱなしや給湯洗浄が習慣的になっていたので、かなりの節約になり逆にそんな清貧生活を楽しむようになりました。
私に定期的な収入が無くなり、債務整理もしているので外出も減りましたが、一切の借金ができなくなったのです。
母の年金だけでは足らないので簡単な家計簿をつけて、足らない分を何とかやり繰りする日々が続きました。
私は、借金できない環境になぜか喜びを感じていたのです。周りからどう思われようが、この清貧生活が私の「借金依存症」を自覚させ、借金による解決や解放を止めてくれているように思いました。
借金できない環境を、自ら選択する意識が芽生えたのです。
こんな節約法がありました。
鶏ガラが1匹30円で打っているスーパーが近隣にあり、それを母が栽培した玉ねぎやジャガイモと七輪でゆっくり茹でて、鶏ガラは骨に付いている肉を醤油を付けて美味しく食べて、後のスープにカレーやシチューのルーを入れて活用すると、大量の食材がとっても美味しく完成するのです。
清貧メニューですが、130円で数食分のカレーやシチューができるのです。
そんな生活が、みじめでも無く、胸を張って営んで自分の心の病気と向き合うことができるようになったのです。
私が自分を「借金依存症」だと自覚するのに、30年近くかかりました。年数の問題では無いかも知れません。
故郷の土地を担保に借金をして自己破産をして、その数年後に企業に就職し再びキャッシングで多重債務者になりました。
その間に、離婚があり家庭が崩壊し、両親は田舎へ引っ越し年金で細々と暮らさなければならなくなりました。
前妻には、養育費を送っていましたが、3人の子供たちを女手一つで育てるのは大変な苦労があったことでしょう。しかし、前妻は会社の倒産と自己破産の際には、私に見向きもしないで離婚の決断をしました。
私は離婚したくありませんでした。甘く自己中心的な考えと思われるでしょうが、離婚で離れるより、再起を共に歩みたかったのです。
私が地方都市で大手企業に就職し、表向きに自立再生した時に、再婚を申し出てきました。そして、多重債務があると知れば電話で罵倒の言葉を言って離れていきました。
被害者や加害者の関係では無いのですが「借金依存症」は、家族のカタチをいびつなものにしてしまうのでしょうか。
母は「アルコール依存症」の夫と、「借金依存症」の息子を支えてきました。父は数年前に癌で亡くなりました。父は「アルコール依存症」専門の病院に入院し、退院してから死ぬまでの20年間、1滴のお酒も飲みませんでした。現在は収入のほとんどない私と二人暮らしです。
私は、気丈で明るく楽天的な性格の母によって、前向きに「借金依存症」と向き合うことができたと思います。 そして、意識改革しようと決意しました。
「借金依存症」を「心の病気」だから、、、と逃げないで、過去も含めて未来の自分像をを見つめよう決心したのです。
カテゴリー | 相談・QA |
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作成日時 | 2017-08-08 18:06:01 |
更新日時 | 2017-08-13 14:56:44 |